ぶどう園日記

背中

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高校の同級生からLINEで連絡があった。

3年生の時の担任だった宮川先生が昨年亡くなったという。

その同級生のところに年賀状ご遠慮お便りが来たことから、そのことがわかった。

いい先生だった。

3年前、同窓会当番期でお邪魔した。

同窓会の記念誌への寄稿をお願いするためだった。

福津市の施設におられるという。

行きがけ、車のなかで話した。

「多分、お元気だと思うんだけど、文章を書くって結構エネルギーがいるから、もしかしたら無理かもよ。」

うーん。俺たちの担任をされてから数年して退職されたと聞いた。とすれば、もう90歳くらいになっている。

もし、文章を書くのがきつい感じだったら、今日、お話しながら、俺が書いてもいい。そうしよう。

「当日も先生には出席して欲しいんだけど、実際問題として、施設から外出が出来るのかどうか、外出できたとして、どのように送迎させていただくのか、万が一への備えはどうすれば良いか。結構クリアしなければならない事がたくさんあるね。」

そうだね〜。でも、出席して欲しいね。まずはさ、先生が出席したいかどうかの意向を尊重して、後はその意向に添えるよう俺たちがやるだけだね。

1時間ちょいで到着。

先生が私たちの昼食を手配してくれているというので、その後のデザートを買って行った。

エントランスホールに入ると、宮川先生がおられた。

わー!宮川先生!思わず手を握った。

「卒業以来だね」

変わらないあの笑顔で迎えてくれた。

とても綺麗でホテルのような施設。

先生に促されレストランに通された。

しっかりとした足取り。

あー!これは大丈夫!同窓会来ていただこう!

3人で目配せした。

席に着くとすぐに昼食が運ばれてきた。

ここは施設というよりは、ケアと三食の賄いがついているマンションだな。

お昼は先生にご馳走になった。

私たちを教えておられたころの先生の年齢に私たちが近づいてきた。

私たちと同じくらいの歳のころ、先生方はどういう風に考え、どういう世界を見ていたんだろう。

そういうことを聞いてみようと思うのは、やはり私が歳をとったということだ。

先生は一年早く退職され、北九州の私立高校に再就職された。

私は浪人して北九州の予備校に通っていたので、先生と電車で一緒になる事があった。

先生、英文訳教えて!

この先生、数学がご専門なのだが、英語も堪能。ロシア語も読める。

英字新聞を読んでいたのを何回か目撃したこともあった。

テキストを見せると、この人英語の先生か!と思うほどの的確さ。

その当時はお世話になりましたね。

「そんなこともあったかな。」

先生はシベリアに抑留されていたんですよね。

「シベリアも西の方で、ウズベキスタンのあたりだな。パミル高原が見はらせるところだったよ。そこで運河を作る土木作業をやっていたよ。」

大変でしたね。

「田川高校1年の時に満州の新京に移ってね。その翌年、17歳から3年間抑留。運良く引き揚げてこれたけど、この3年間は、人生の大きな損失やな〜と思ったんよ。絶対取り戻したいと思って、抑留されている間に見ていたロシア語をこちらに戻ってから勉強したんよ。」

本棚にはロシア語の数学書。

ロシア語の数学書を持つ宮川先生

先生、すげー。

「もうロシア語は、数学の本くらいしか分からん。」

じゅ、十分です。

普通、抑留という極めて不条理な体験に、恨みつらみを言うか、そのまま忘れてしまおうとするか。

前に繋ごうとする、その姿勢。先生カッコいいね。

奥様が亡くなってから息子さんが住む福津市に越してきたという。

今は、Yahoo!知恵袋の数学問題に解答を投稿するのが楽しみで、ベストアンサーになるとポイントが貰える。もう51万ポイントも貯まった、と嬉しそうに話す先生。

91歳とは思えない健在ぶり。

ところで先生、同窓会の記念誌へ寄稿をお願いしたいのですが。

「メールでいいの?」

はー!Yahoo!知恵袋とかメールとかパソコン使いこなす91歳!

これは総会当日も是非にとお願いし、ついてはどのようにして来ていただいたらよろしいか、と尋ねた。

それはここまでお迎えに伺い会場までお連れするのだが、前泊がいいか当日がいいか、という問いのつもりだった。

すると先生、

「どうして行こうかね。吉塚経由で後藤寺線かなぁ」

と普通におっしゃる。

せ、先生!電車で来られるおつもりで?

全く、宮川先生には驚かされる。

歳のことを言い訳にしてはいけないですね。

私は先生のようになりたい。

今日は、素晴らしい時間をありがとうございました。

またお邪魔します。

そう言って別れた。

同窓会当日は、登壇いただき、私達当番期の担任代表でお言葉をいただいた。

ご挨拶もそこそこで、それが先生との最後になってしまった。

先生、素晴らしい人生でしたね。

お疲れ様でした。

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